◇ボス猿は、何時までもボス猿ではいられない。

権勢を誇ったボス猿も何時かは、若手の猿に追われる日が来ます。

会社で引退するためには、若手を育てる必要があります。

零細企業でも、自分の能力に限界を感じ始めれば当然ですが、企業を育てると言うのは、同時に後継者を育てると言うことも必要です。

老いぼれて、すごすごと若手に山を追われるボス猿になる前に!

年を取ると言うことは、その年になって漸く判る事ですが、体力、思考能力、やはりあらゆる事が、どんどん音を立てて低下して行きます。どんな強気な経営者でも、心の底では認識できているはずです。恐らく・・・

年を取って気が短くなって行くのは、その焦りからです。きっと・・・

中小企業にはボス猿になるより、ならなかった方が幸せだった様に思える人を見掛けることもあります。

それは、トップになった人にしか判らないと思いますが…

人に寿命がある様にトップも永遠には続きません。後継者の育った企業は幸せです。

私は零細企業ですが、仕事を持続・確保して行く事が大変でも、トップになれたことは幸せだと思っています。

それはなったものでしか味わえない体験です。

商売は、諸刃の剣です。苦しみも多い分、達成した喜びも大きいからです。

しかし、『ピンチはチャンス』と果敢にチャレンジ精神の持続できる間が条件です。

幕末の志士 清河八郎のことを司馬遼太郎さんは「竜馬が行く」の中で、

『百才あって一誠足らず』と表現しています。

私の場合は、『一誠あって百才足らず』です。不足は社員達が補足してくれています。

2012-02-10 (金) 15:08 by 中井 直人

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◇笑山会 比叡山

1月の第三日曜日の15日にJR湖西線の比叡山坂本から比叡山に上がってきました。9人で。

以前は、金剛山か比叡山のどちらかだったのですが、ここ少なくとも10年は比叡山です。

山野会と言っていた時代から我々は、山歩きを始めて25年になります。

25年前と言えば私は36歳。まだまだ血気盛んな時代です。元気に上がっていました。今はゆっくり。

『最大の名誉は決して倒れないことではない。倒れるたびに起き上がることである』(孔子)

でも続ける事の大切さを改めて感じています。続けられた最大の要因は、一緒に行く人の在ることです。

アメリカの牧師ウィリアム・アーサー・ワードは、こう言っています。

『悲観主義者は風にうらみを言う。楽観主義者は風が変わるのを待つ。現実主義者は、帆を動かす』

帆を一緒に動かす仲間たちの居る有り難さを今年も新年早々に感じさせて頂きました。

2012-01-17 (火) 9:50 by 中井 直人

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◇次女の結婚

次女が12月に結婚しました。これで二人の娘が片付いたので、親として肩の荷を下ろした気がします。

結婚式には、何人も知った顔の娘の友達が来てくれて受付を手伝ってくれたり、盛り上げてくれたり、写真を撮ってくれたりしてくれました。

結婚式も人前結婚式で神主さんも牧師さんもいない、出席者全員が祝福し認めると言う形でした。

その日の結婚式の内容は、結婚する二人が相談した事で私は知りませんでしたが、最後は、二人の幼い時から現在に至る写真をスクリーンに流しながら、お礼の言葉と列席頂いた全員のお名前が出ました。

おばあちゃん(生きていれば106歳)、私の両親(生きていれば96歳と91歳)そして3年前に亡くなった姉(生きていれば67歳)の懐かしい写真も沢山含まれていました。

我々は現在、写真やプロジェクターのお蔭でこんな形で亡くなった方達に参加してもらえることに気づかされました。

娘も多くの方達に可愛がってもらい、育ててもらったのです。友人、知人、ひいばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん。スクーリーンを見ながら、その輪が決して小さくなかった事を改めて知らされました。

二人共、暖かい輪の中で育てられたのだ。

人は、何時から拍手をするようになったのでしょうか?披露宴に参加の皆様から沢山の拍手を頂戴しました。

神社で打つ柏手(かしわで)と拍手は同じです。神様に祝福を貰うために神社の拝殿でかしわでをたたきます。「今年も一年良い年でありますように」とか「無事息災で過ごせますように」と。

披露宴で貰う拍手も「幸せになれよ」とか「良い家庭を築けよ」という参加者皆さんからの応援や励ましのはずです。沢山の拍手を貰えたことは、二人にとって幸せなことでした。

年末の慌ただしい時の結婚式でしたが、年末を締めくくる我が家のありがたい行事でした。

2012-01-07 (土) 9:26 by 中井 直人

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アメリカ映画『猿の惑星 創世記』を見て。

人類に近い“猿”は、薬の開発の臨床実験に使われます。人類の為に犠牲になっている多くの類人猿達、「猿の惑星 創世記」は彼らが主役です。

今回の「猿の惑星 創世記」はチャールトン・ヘストン主演で1968年に映画化されたものとは少し趣が違います。その時の「猿の惑星」はフランスの小説家ピエール・ブールが、仏領インドシナにて戦時中有色人種を使役していたところ、同じ有色人種である日本人の率いる軍の捕虜となり、「立場の逆転」の経験を基に描かれたと言われています。

白人社会の戦中、戦後の日本人に対する痛烈な皮肉と批判だと言われていました。

日本人は、アジアの白人と皮肉られる様にアメリカとの経済協力、経済支援で戦後のし上がってきましたが、一部の白人社会からは嫉妬と共に白眼視されてきた部分もあります。白人の有色人種に対する差別意識も多少在るのかもしれません。

勿論、アメリカに偏った日本は、アジアの人々から見ても黄色いアメリカ人であったかもしれません。とは言っても焦土から立ち上がらなければならなかった日本にとっては最善の選択方法であったとも言えます。

私が、40年前にヨーロッパに旅行をした時に、既に日本の製品(特に日本のバイクは人気があった)が流入していて「日本人は、長崎や広島の原子爆弾で優秀に突然変異したのか?」とユースホステルで真面目に問われた事を思い出します。

今回の新「猿の惑星 創世記」は、地球上を支配者の様に勝手気ままに支配してきた人類に対して、地球上のあらゆる生命との共存共栄を図っていかなければ、大きなしっぺ返しが待っているぞと、警告するものでした。

今年の日本は、大きな地震に遭い、原子力発電所の津波による放射能漏れ、その上に史上最高値の円高。その中にあっても日本人の勤勉さや我慢強さが復活に結びつき、その逞しさが今回も“類人猿”に日本人が譬えられたのではないと思うのですが・・・

2011-10-27 (木) 9:25 by 中井 直人

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角田光代著『八日目の蝉』

以前読んだ「対岸の彼女」に続いて角田光代(かくた みつよ)さんの「八日目の蝉」を読みました。

「八日目の蝉」は、映画化されていて今月か5月には一般公開されます。

蝉の幼虫は、羽化したのち幹を這って地面に潜り7年地中で過ごした後、地上に出て成虫として1週間すると死ぬと言われています。蝉の成虫にとって八日目は無いのです。が、地下に潜っていた人生から脱して、その無いはずの八日目を迎えて殻を破って生きてみたいと、この小説の主人公は決心します。

人間は、子供の部分と大人の部分を合わせ持ち続けながら生きています。それは人間と言う理性と生物と言う本能と言い直してもいい・・・

そして人生を豊にするのも人間関係なら、苦しくするのも人間関係です。そのいずれも心と言う感情に支配されています。

その心象風景を補完するのが、人生で出会った人であり、その時見た空や海です。それも心の状態で印象は様々に変化するのですが・・・

この小説の場合、主人公の子供心に強烈に残ったのは小豆島の風景です。小豆島の海と空と母と思っていた人と一緒に歩んだ小豆島八十八箇所の遍路道。

天然水や自然食を販売する謎の団体エンゼルホームでの生活も出てきますが、主人公 恵理菜(薫)にとってそこでの生活は幼すぎて記憶には乏しい。

秋山恵理菜は、薫と呼ばれた時期が在り、リベカと言われた時期がありました。彼女の生活で薫、リベカと呼ばれた時期がこの小説では、恵理菜の心の暗黒の時代になっています。赤ん坊の時に野々宮希和子に誘拐され、薫として育てられ4歳の時にお母さんと思っていた希和子は誘拐犯として逮捕され、本来の家族のもとに戻されたのです。本人の意思とは関係なく、可愛そうな被害者として・・・

優しいお母さんが、極悪な誘拐犯であったと言われても4歳の少女に理解できる訳ありませんし、突然、最も身近な庇護者から引き離され「私が本当のお母さんよ」言われ戸惑うばかり。その衝撃から立ち上がる事がこの子の人生の第一の障壁でした・・・

第2章は、家族から離れて大学生活をする成人した秋山恵理菜に変わります。彼女にとって4歳までのことは過去の出来事のはずですが、8歳年上の安藤千草との出会いで嫌でも過去と向き合う事になります。

恵理菜は殆んど記憶していませんでしたが、エンゼルホームで共通の体験をした、安藤千草との再会と交流の中で心の闇の部分を訪ねる決心をする所でこの小説は終わっています。

千草という少し年上の彼女は誘拐こそされていませんが、同じ様に子供の頃のエンゼルホームでの体験が、心の影となっていて、恵理菜のこの時期の事を良く覚えています。そんな自分を知る人物との出会いがあって、戦友の様な再会があって徐々に心が開かれるていきます。というか、それを機に自分自身に決心覚悟を促がします。過去の自分と向き合う事へ・・・

そして結果として、自分を無償で支えてくれている人達が居る事を気付かせてもらうチャンスとなります。

母と思っていた人との逃亡生活で使用する空間は、その人の友人のマンション、立ち退きの決まった住宅街、エンゼルホームでの集団生活、ホテルの従業員宿舎、店、借家に貸してくれた離れ、フェリー乗り場と建物と言う様々な人間社会の市井の穏やかな普通の空間が関わって来ます。子供に逃亡している意識は全くないのですから・・・

この話は、親子や家族や姉妹関係を考えさせられた上、人生を豊にするのも、辛くするのも人間関係であることを思い知らされます。何を拠り所にするか、誰を信用するか、結局自分を信用するにも誰かの手助けが必要なのだと・・・

存在する環境。それを変える事の出来るのは自分自身でしかありません。人生を“旅”に例える人が居ますが、自分を尋ねる旅に出かける決心は記憶が希薄なだけに勇気が居る。

東日本大震災の津波や地震で受けた衝撃も、心に横たわる闇も大きなものが在ります。それは、共通した体験者同士でしか癒されないものかもしれない・・・

しかしそんな激しい体験ですら何時か忘れ去られます。

2011-04-08 (金) 8:35 by 中井 直人

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◇東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)

我々の暮らす地球は、水の惑星です。我々の先祖達も海や川沿いで生活してきました。人類の文明もいずれも、川沿いに発生、発展してきたと言えます。

人体の60%は水分です。我々は“水”無しでは生きられません。

それにしても、今回の水の氾濫は人類が親しんできた関係から推し量っても理不尽としか言いようが在りませんでした。

私が事務局をしている大阪情勢判断学会のブログにも書きましたが、私は建築屋です。津波に流されていく家の映像を見ながら本当に涙が流れました。津波の圧倒的水力の前に余りにも無力な建物を見て無念の思いをしたのは全ての建築屋さんに共通していたと思います。

“無常”とは、常では無いと書きます。本当に今回の災害は、目の前で阪神・淡路大震災を経験した我々にとっても“無常”のほかありませんでした。

今から、倒壊した建物の解体や撤去処分。寸断された道路や橋の回復作業、電気・ガス・給水排水等ライフラインの復旧作業。仮設住宅の建設と公営住宅等による当面の住まいの確保等、家を失った多くの被災者の皆さんに対する支援活動が一斉に始ります。

その時、地元に仕事が無くて都会に働きに出ていた若者達が自分の故郷の復興の為に戻ってきてくれる事を希望します。

現在、建築家 安藤忠雄さんが日本経済新聞に「私の履歴書」を書いています。安藤先生は「建築は、人と人との繋がりを形にする仕事だと」言います。以前聞いた安藤先生の講演で、こんな話をされた事を覚えています。「田舎ほど住宅を高層化せよ」田舎に残されて高齢化していく人達、隣同士が孤立して孤独に離れているより、同じ建物(共同住宅)で生活した方がコミュ二ケーションが取れて良いではないか!地価が高く、人口密度の高い都会での土地の高度利用とは逆転の発想です。過疎化する場所ほど建物をまとめて高層化せよと。

津波に流された家を見ながら、我々は土地も建物も不動産ではなかった事を思い知らされました。今回の災害で都市計画は、抜本的見直しを迫られると思います。共同住宅でリスクを共有し分散するのも一つの方法です。

国家財政難の折に起こった大災害、地震列島に住む我々は明日は我が身です。今は被災された東北地方の皆さんの復興支援で自分達が遣れる範囲の事を仕様ではありませんか!巨額の資金が必要となります。株価も暴落し、世界の日本経済に対する評価には厳しいものが在ります。そんな国家存亡の時、増税も已む無しです。

こんな時にこんな言い方は怒られるかも知れませんが、「ピンチはチャンス」です。財政難とこの国難は日本国民が矜持を取り戻し、日本国復興と再生の為に国民が一枚岩になる絶好のチャンスです。励まし合いましょう。

3月11日(金)午後2時46分 マグ二チュード9.0の地震に被災された宮城県・岩手県他の皆様に心から、お見舞い申し上げます。

2011-03-15 (火) 19:15 by 中井 直人

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◆知らせがありました。

知人から以前勤めていた職場の施設の一つであった内科診療所の看護婦さんが亡くなったと連絡が入りました。

連絡があった時は、すでに亡くなってから2週間ほど過ぎていました。驚いた私は、その知人に聞き返します「Tさんて70歳には、まだなってなかったな?」と。

それから今年頂いた年賀状を出して見直してみました。家族で写した写真に可愛らしい顔が刷られていて、そこに年末に体調を崩したので今年は、健康管理が課題ですと、何時もの文字で書き添えがありました。

60歳の定年までは、内科診療所に居ましたし、その後YWCAの特別養護老人ホームの診療所に65歳まで勤務して、お医者さんをしている息子さんのいる徳島へ引越しされ、その後は年賀状の付き合いになっていました。

私が勤めていたグループの診療所でしたので、定期的な健康診断そして風邪を引いたりしては、お世話になっていました。

社内の施設でしたので、本当に親切にして頂き、健康管理では本当に気に掛けてもらったものです。ご子息が医学部を目指し医師になられたのも、恐らく母さんのその熱心な姿勢の影響であったと思います。

知らせてくれた知人とは、一度徳島に行って呼び出して会いたいな、と言っていました・・・

同じ組織で一緒に働いた人との死別は、格別のものが在ります。それに我々の健康のことをこれほどまでに考えてくれていた人でしたから、こんなに早く亡くなるとは思っても見ない事でした。

当時、我々に対しても自然治癒力の話をよくされる方でしたので、どんな病気で亡くなったのかは判りませんが、延命措置等は、潔しとしなかった様な気がします。

寺山修司さんの詩文集「思いださないで」の中の“時計の一節”

『時計の針が前にすすむと「時間」になります。後にすすむと「思い出」になります・・・』

Tさんとは、もう「時間」の共有は出来なくなりました。「思い出」になってしまった。

Y・Tさん看護婦という仕事で一生懸命生きてくれて、ありがとうございました。

2011-02-08 (火) 8:07 by 中井 直人

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年末、年始にまとめて映画を見る機会がありました。

・『最後の忠臣蔵』

 “忠臣蔵”と言えば、松の廊下の刃傷沙汰があって藩主は切腹、お家は断絶、取り潰しその後の赤穂藩士47人による討ち入り、仇討ち、その藩士達の切腹と話の流れは決まっています。

しかし、家老大石内蔵助は藩取り潰し後の藩士の再就職の世話をし、武士としての主君に殉じる生き方をする藩士は最小限に持っていきます。戦略は二者択一「遣るか、止めるか?」しかし、遣る!と決めた以上、戦術で言う「犠牲は最小限に!」です。赤穂藩士300数十人の内実際に忠臣47人で討ち入った訳ですから大石内蔵助は中々の戦略家ですが、残りの250数名は当時の武士の精神から言えば忸怩たるものがあったはず・・・

そして討ち入り切腹後の家族と生き残った赤穂の藩士達は、どうしたのか?この映画はそこに焦点を当てています。「真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」と大石から命を受けた寺坂吉右衛門と「可音」と名付けた大石内蔵助と可留との間に生まれた忘れ形見を密かに育てた瀬尾孫左衛門の二人の話です。

・『武士の家計簿』

これも実在の人物のお話です。猪山直之(加賀藩御算用者(現在で言う経理係))の幕末~維新にかけての話です。100万石と言えども加賀藩の財政状態は決して楽ではありません。現状の日本と対比して見れます。体面ばかりに拘る士族の家臣たち、その生活は決して豊なものでは在りません。武家社会は身分が高くなるにつれ出費が増え、それを賄うため借財(商人からの借金)が増える。窮地に追い込まれた猪山家は武家とは思えない倹約生活を実行してその窮乏を凌ぎます。

不自由の無い範囲で必要最小限に限り、日常に必要なものだけに絞る。家財道具で実用的でなく死蔵されているものは全て処分し“金”に換えて借金返済に充てます。元金・金利返済を減らした上で、日々の食事も質素に、そして華美になりがちな家庭内の行事も節約し倹約していきます。当たり前になっていることを見直し無駄を省く姿勢は、財政難の現代の我々にも示唆に富むお話ですし当時の役人武士の姿に現在の官僚達も見習ってもらいたい!

・アメリカ映画 『バーレスク』

アメリカのショービジネスの世界を見ることが出来て楽しめる。Christina Aguilra(クリスティーナ・アギレア)とCher(シェール)の歌唱力にも圧倒されます。クリスティーナ・アギレアは、“ゲイフレンドリー”としても有名らしいが、アメリカ人としては小柄で在日米軍の父親の関係で日本で育った時期も在り、デビュー当時日本のアーティストとの交流でも知られています。又、父親の暴力に苦しめられ離婚後の母親と再婚した義理の父親とその間の兄弟達とも一緒に生活するなど私生活でも中々の苦労人です。

そんな彼女が主演とあって、この映画のテーマも最近のアメリカ映画らしく、仲間を裏切らない、金が全てではない!生きた金の使い方など明快で判り易いのが何よりも良い。金さえあれば何でもできる訳ではないと訴えます。

・フランス映画 『しあわせの雨傘』

フランスの女優さんで、「シェルブールの雨傘」で清純な女性を「昼顔」で妖艶な女の色香を輝かせたカトリーヌ・ドヌーブ。その女優さんの女性としての美しさは十代の頃の私にとっては圧倒的でした。そのカトリーヌ・ドヌーブは、1943年生まれの現在、67歳。青春時代に見た姿のままではありませんが、十分に美しく貫禄が付いて主演しています。この映画は、その往年のスターに出会えるのが先ず嬉しい。

映画の内容は、フランスのエスプリ(esprit)の効いた社会風刺と皮肉の精神の込められた作品です。家族とは何か?夫婦とは何か?姉妹や親子は、何か?この話は、同じ様な境遇の夫婦では無くとも、結婚30年も経っていれば理解して随所で笑える佳作でした。

この4作品に共通しているのは、幸福というのは経済的豊かさだけではなく、目標を成し遂げてそれを手助けしてくれる仲間が居るいとう事でした。

今の私は、映画は一回1000円で見れますし、ワーナーマイカル茨木であれば5回に1度はタダになります。私にとっては、色んな事を考えさせられて勉強になって楽しめて、安くて健全な娯楽の時間潰しです。

2011-01-13 (木) 8:09 by 中井 直人

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柴田トヨさんの詩 (言葉の持つ力)

明治44年生まれの柴田トヨさんは、90歳から“詩”を創っては産経新聞に投稿をしていたらしい。

現在満99歳です。

若者の活字離れがよく言われますが、店頭に積まれた小さな詩集「くじけないで」を手に取って見る人が意外にいます。

私も詩集の巻頭言の“母”なんて詩に最初から心を鷲掴みにされました。

言わばこの素人の詩集が売れて反面、芥川賞や直木賞の本がなかなか売れないと聞きます。

それは作文の技巧ではなく、99歳のおばあちゃんの心そのままの“言葉”が素直に世間に受け入れられたのでしょう。

例えば、その中の『貯金』は、

「私ね 人から

 やさしさを貰ったら

 心に貯金しておくの

 さびしくなった時は

 それを引出して

 元気になる

 あなたも 今から積んでおきなさい

 年金より いいわよ 」

そこに難しい言葉は、一つもありません。だからなぜかいい!

2010-12-21 (火) 8:04 by 中井 直人

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同窓会

高校の同窓会があった。何人か同窓生は死んでいたし、各人の近況報告ではご主人を喪った話もありました。

人生80年の時代と言われても人の人生は、全ての人に80年在る訳ではありません。当たり前か・・・

私達は、団塊の世代と言われ高校を卒業して42~43年になります。

我々の両親は、太平洋戦争の体験者です。私の両親も大正4年生まれと大正9年生まれでした。

国家の為に命を捧げる事を強要された世代です。だから頑固なくせに戦後は、子供には以外に甘い所も多かった。

私の姉兄を戦後の混乱期に育児し、私は“朝鮮戦争”の時に生まれました。

我々も決して“モノ”の豊な時代に育っていないので、ナゼか自分の子供には甘くなる。子供はそうは思っていないかもしれないが・・・

同窓生の女子で夫を喪ったのは、西穂高岳で滑落死したそうです。登山が趣味で初めて息子さんが一緒に行ってくれると喜んで行ったそんな折であったらしい。無理してしまうよ、きっと息子の前では・・・

私も山歩きが趣味です。現在山に溢れる中高年のご一行の一員です。でも現在は、ハイキングコースしか行きません。でも、そこも中高年ばかりです。交通費と弁当代だけの安上がりの趣味だからね・・・

無理して、歯を食いしばって登って事故にあったのでは、楽しみにはならないからです。山と言うのは、天気の急変にも出会うし、寒暖の差もあります。私も何度も経験をしました。だから体力に応じた歩き方をしないとね!山の遭難の犠牲者に中高年が目立ちます。晴天の絶景に出会った時の感動が忘れられないから無理しちゃうよ・・・

息子さんと一緒に行ったご主人の話は続きます。息子さんは、お父さんが滑落死したことをお母さんに中々連絡出来なかったそうです。自分の姉に先に連絡はしたそうですが・・・

沢山のお土産話を持って帰る予定をしていたのですから、目の前で父親に死なれる事は急転直下の出来事だったに違いない。

人生の中で出会う悲劇。初めて父親と登った山で出会った悲劇。息子さんが自分の結婚した後、自分の子供と一緒に山登りをする事はあるだろうか・・・

そんな事を考えてしまう。

その同窓生はその後、鬱病に掛かって現在も治療中と言うことであるが、私も息子と一緒に山歩きした経験があるだけに深く共鳴し、心動かされる事件として聞き入ったのでした。

2010-11-17 (水) 19:15 by 中井 直人

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