以前読んだ「対岸の彼女」に続いて角田光代(かくた みつよ)さんの「八日目の蝉」を読みました。
「八日目の蝉」は、映画化されていて今月か5月には一般公開されます。
蝉の幼虫は、羽化したのち幹を這って地面に潜り7年地中で過ごした後、地上に出て成虫として1週間すると死ぬと言われています。蝉の成虫にとって八日目は無いのです。が、地下に潜っていた人生から脱して、その無いはずの八日目を迎えて殻を破って生きてみたいと、この小説の主人公は決心します。
人間は、子供の部分と大人の部分を合わせ持ち続けながら生きています。それは人間と言う理性と生物と言う本能と言い直してもいい・・・
そして人生を豊にするのも人間関係なら、苦しくするのも人間関係です。そのいずれも心と言う感情に支配されています。
その心象風景を補完するのが、人生で出会った人であり、その時見た空や海です。それも心の状態で印象は様々に変化するのですが・・・
この小説の場合、主人公の子供心に強烈に残ったのは小豆島の風景です。小豆島の海と空と母と思っていた人と一緒に歩んだ小豆島八十八箇所の遍路道。
天然水や自然食を販売する謎の団体エンゼルホームでの生活も出てきますが、主人公 恵理菜(薫)にとってそこでの生活は幼すぎて記憶には乏しい。
秋山恵理菜は、薫と呼ばれた時期が在り、リベカと言われた時期がありました。彼女の生活で薫、リベカと呼ばれた時期がこの小説では、恵理菜の心の暗黒の時代になっています。赤ん坊の時に野々宮希和子に誘拐され、薫として育てられ4歳の時にお母さんと思っていた希和子は誘拐犯として逮捕され、本来の家族のもとに戻されたのです。本人の意思とは関係なく、可愛そうな被害者として・・・
優しいお母さんが、極悪な誘拐犯であったと言われても4歳の少女に理解できる訳ありませんし、突然、最も身近な庇護者から引き離され「私が本当のお母さんよ」言われ戸惑うばかり。その衝撃から立ち上がる事がこの子の人生の第一の障壁でした・・・
第2章は、家族から離れて大学生活をする成人した秋山恵理菜に変わります。彼女にとって4歳までのことは過去の出来事のはずですが、8歳年上の安藤千草との出会いで嫌でも過去と向き合う事になります。
恵理菜は殆んど記憶していませんでしたが、エンゼルホームで共通の体験をした、安藤千草との再会と交流の中で心の闇の部分を訪ねる決心をする所でこの小説は終わっています。
千草という少し年上の彼女は誘拐こそされていませんが、同じ様に子供の頃のエンゼルホームでの体験が、心の影となっていて、恵理菜のこの時期の事を良く覚えています。そんな自分を知る人物との出会いがあって、戦友の様な再会があって徐々に心が開かれるていきます。というか、それを機に自分自身に決心覚悟を促がします。過去の自分と向き合う事へ・・・
そして結果として、自分を無償で支えてくれている人達が居る事を気付かせてもらうチャンスとなります。
母と思っていた人との逃亡生活で使用する空間は、その人の友人のマンション、立ち退きの決まった住宅街、エンゼルホームでの集団生活、ホテルの従業員宿舎、店、借家に貸してくれた離れ、フェリー乗り場と建物と言う様々な人間社会の市井の穏やかな普通の空間が関わって来ます。子供に逃亡している意識は全くないのですから・・・
この話は、親子や家族や姉妹関係を考えさせられた上、人生を豊にするのも、辛くするのも人間関係であることを思い知らされます。何を拠り所にするか、誰を信用するか、結局自分を信用するにも誰かの手助けが必要なのだと・・・
存在する環境。それを変える事の出来るのは自分自身でしかありません。人生を“旅”に例える人が居ますが、自分を尋ねる旅に出かける決心は記憶が希薄なだけに勇気が居る。
東日本大震災の津波や地震で受けた衝撃も、心に横たわる闇も大きなものが在ります。それは、共通した体験者同士でしか癒されないものかもしれない・・・
しかしそんな激しい体験ですら何時か忘れ去られます。